4月 092016
 

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8月 052014
 

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4月 092014
 

読売新聞 によると。

東京都内で見つかった坂本龍馬の手紙の草稿。文末には龍馬の本名「直柔(なおなり)」の署名がある
 幕末の志士・坂本龍馬が暗殺される直前に書いた手紙の草稿が、東京都内で見つかっていたことが7日わかった。

 土佐藩重臣の後藤象二郎に宛てたもの。新政府の財務担当者として、福井藩の財政を立て直した三岡八郎(後の由利公正)を推し、彼を訪ねて会談した様子を記している。龍馬と三岡が会ったことは、三岡の回顧録で知られていたが、龍馬側の資料が見つかるのは初めてという。

 手紙は縦19・5センチ、横約1メートル。この中で龍馬は、慶応3年(1867年)10月28日に福井入りし、三岡と新政府の財政などを論じ、11月5日に帰京したなどと記述。財務を任せられるのは「三八(三岡)を置かば他に人なかるべし」と進言している。龍馬は同月15日に暗殺された。

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7月 252013
 

毎日新聞 によると。

坂本龍馬が直筆署名し血判を押したと見られる起請文=高知市浦戸城山の高知県立坂本龍馬記念館で2013年7月24日午後3時18分、最上和喜撮影

 高知県立坂本龍馬記念館(高知市)は24日、坂本龍馬が砲術を学んだ流派の起請文(誓約書)に、龍馬の直筆署名と血判が見つかったと発表した。同館によると、現存する龍馬直筆の史料としては2番目に古く、血判が確認されたのは初めて。森健志郎館長は「龍馬の土佐での行動の一端を知る貴重な手掛かり」としている。

 起請文は幅約20センチ、長さ約13.4メートルの巻物で、土佐藩で西洋砲術「高島流砲術」を教えていた徳弘孝蔵(1807~81年)が門下生に書かせたものとみられる。流派の技術を外に漏らさないことを誓う文とともに、龍馬のほか、武市半平太、岡田以蔵、龍馬の兄権平ら216人分の署名と書き判が記され、それぞれに血判が押されている。

 龍馬の名前は196人目にあり、1859(安政6)年9月20日に署名している。龍馬は前年9月に江戸での2度目の剣術修行を終えて高知に帰っており、その後に徳弘を訪ねたとみられる。字体や書き順が他の龍馬の署名と似ていることから、同館が「直筆の可能性が極めて高い」と判断した。

 起請文は高知市内の徳弘家に保管され、龍馬研究の第一人者、平尾道雄氏(故人)の著書でも紹介された。1981年に徳弘家が火事に遭い、行方が分からなくなっていたが、今月下旬、同館の企画展をきっかけに所有者が連絡し、確認された。

 筆跡鑑定に携わった京都国立博物館の宮川禎一企画室長は「筆遣いに若い頃の龍馬のまめな性格が表れている。龍馬は書き判もめったに書かないので貴重だ」と話している。25日から8月31日まで坂本龍馬記念館館で展示する。

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