5月 072016
 

読売新聞 によると。

 熊本地震で本震が起きた4月16日、熊本県南阿蘇村の山間部にある九州電力の水力発電所「黒川第一発電所」の貯水槽などの設備が損壊し、麓の集落の方向に大量の水が流れ下っていたことが九電への取材でわかった。

 集落では土砂崩れで9世帯の住宅が被災し、住民2人が死亡した。九電は近く有識者を交えたチームを発足させ、土砂崩れと水の流出の関係などについて調査する。

 九電は本震後の4月16日午前10時~同11時頃、ヘリコプターで状況調査を実施。その結果、〈1〉貯水槽(約1100立方メートル)のコンクリート製外壁のうち、集落側の一部が崩落し、中が空になっていた〈2〉貯水槽横にある水路の一部が損壊し、水が集落の方向に流れていた――ことを確認。午前9時半頃にダム湖から取水を停止するまで、計約1万立方メートル(25メートルプールの約20杯分)の水が流出したと推定している。

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5月 052016
 

時事通信 によると。

 熊本地震後の活動自粛を経た3週間ぶりの姿に、子どもたちは歓声を上げ、楽しいひとときを過ごした。

 午前10時半ごろ、避難所近くの西原村立にしはら保育園に集まった約50人の子どもたちの前に、くまモンが勢いよく登場。子どもや高齢者と抱き合ったり手と手を合わせたりした後、子どもたちと曲に合わせて踊り、30分ほどで帰って行った。

 くまモンの形をした風船を手にした吉岡彩ちゃん(4)は「ほっぺたがかわいい」と満足げ。自宅が被災して村外で避難生活を続ける山本大翔君(6)も、「大きくて強かった」と上機嫌で話した。母親の美香さん(35)は「子どもたちも笑顔がいっぱい。出てきてくれてよかった」と話した。

 避難生活を送る古庄サク美さん(83)も「会えてよかった」と顔をほころばせた。

 くまモンは当面、県内の避難所で被災者と交流したり、支援活動に当たる自衛隊やボランティアなどにお礼を伝えに行ったりする予定だ。熊本市内の交流拠点「くまもんスクエア」にも、近日中の登場を検討している。

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5月 052016
 

読売新聞 によると。

 被災地では住宅の被害が当初の想定を大きく上回り、今のままでは仮設住宅の数が足りなくなる恐れが出てきた。着工の遅れも目立っている。不自由な避難所暮らしや車中泊を続ける被災者からは「早く仮設住宅を整備してほしい」との声が上がる。

 ◆入居は来月中旬

 「避難所から出て、早く仮設住宅に移りたい」

 熊本県南阿蘇村の自宅が全壊し、母親(88)らと3人で避難所生活を続ける農業男性(71)は訴える。仮設住宅への入居希望を聞く村の意向調査が始まったのは、今月3日になってから。被害が甚大で村職員の手が回らなかったという。

 県は「前震」の15日後にようやく西原村と甲佐(こうさ)町で仮設住宅の建設を始めた。避難者への対応やライフラインの修復に追われ、住宅の被害を調査する人員が不足、その後も地震が多発し、調査自体も難航した。その結果、阪神大震災や新潟県中越地震、東日本大震災と比べて、1週間以上も遅い着工となった。

 建設の遅れは、被災者の避難所生活の長期化につながる。仮設住宅への入居が始まったのは、阪神大震災が発生から半月後、中越地震や東日本大震災は約1か月後。しかし熊本地震では、最初の完成は早くても6月中旬の見込みで、入居できるのは発生から約2か月後になる見通しだ。

 ◆用地確保も難航

 今も約5000人が避難所に身を寄せる益城町(ましき)の西村博則町長は4日、読売新聞の取材に、「発生直後は人命救助が最優先だったが、今後は、日常生活を取り戻すため、仮設住宅の建設に全力をあげたい」と強調した。

 同町では、500戸の建設を目標とするが、メドがついたのは140戸。震度7を2回観測し、仮設住宅用に計画していた公有地が地盤沈下で使えなくなるなど、用地探しが思うように進まない。

 地震に伴う土砂災害が多発した南阿蘇村では、阿蘇大橋の崩落で村中心部と分断された立野地区内での建設を断念し、隣町への建設を検討している。

 熊本県が現時点で考える仮設住宅の建設戸数は2100戸。仮設住宅を求める同県内の15市町村に対し、読売新聞が現時点で必要とする戸数を取材したところ、11市町村で計1900戸を超えた。まだ4町村が「わからない」としており、必要戸数はさらに増える見通しだ。今後、県と各市町村の調整が必要になる。

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5月 022016
 

フジテレビ系(FNN)によると。

ゴールデンウイークを1つのきっかけとしたい被災地、熊本。復興への希望と厳しい現実の狭間で、人々の心は揺れている。
水筒持参で、元気よく登校した子どもたち。
およそ半月ぶりの授業再開。
学校には、子どもたちの元気な顔がそろった。
熊本地震以降、休校が続いていた県内の一部の小中学校で、2日、授業が再開された。
児童は、「地震の時、1人で寂しかったから、みんなと仲良くして、楽しく学校に通いたい」と話した。
県内にある公立の小中学校では、2日までに373校が、授業を再開。
一方で、学校が避難所となっているなどの理由で、依然、休校となっている155校は、10日の再開を目指している。
帯山小学校の教員は、「地震で、結構、ぽろぽろ崩れてたところが、いっぱいあって、ちょっとでも不安がぬぐえたらなと思って、掃除を進めている」と語った。
大規模な土砂崩れが相次いで発生した、南阿蘇村。
今も、大学生の大和 晃さん(22)の行方がわかっていない。
晃さんの父・卓也さん(58)は、「気落ちしただけですよね、がっかりして」と話した。
無人の重機などを使用し、10日間にわたって行われてきた、大和さんの捜索。
しかし、阿蘇大橋が崩れ落ちた崖下のエリアでは、2次災害のおそれがあるとして、捜索作業が、いったん打ち切られ、今後は、上空からの捜索に絞られることになった。
卓也さんは、「難しいというのはわかるんですけども、もしかしたらというところはありましたから。(見つかるのが)何年先か、わからないじゃないですか」と話した。
4月16日、震度7を観測した西原村で、緊迫する救出活動の現場を取材した。
その西原村を、再び訪れた。
あの日、倒壊した家屋に閉じ込められ、救出された西本 豊さん(60)。
近所の助けもあり、家族全員が無事だった。
西本さんは、「こっちの隙間から、この下の奥の梁(はり)に挟まれていた」と話した。
地域全体が、壊滅的な被害を受けながらも、住民らが助け合い、奇跡的に人的被害が出なかった大切畑地区。
大工である西本さんは、救出後、すぐに復旧活動に取り組み始めた。
西本さんは、「(もう動いているんですね)痛いのどうのと言ってられない」、「(大切畑、復活させたいですよね)こんな田舎のいいところは、なかです」などと話した。
しかし、地震の爪痕は、ふるさとに深く刻まれたままとなっている。
大切畑地区では、26世帯、およそ100人の住民が生活していた。
ほとんどの家屋に、倒壊の危険があることを示す、赤い紙が貼られていた。
このままでは住めない、わが家。
住民たちは、長い間暮らしてきたこの地に住み続けるべきかどうか、苦しい判断を迫られている。
山本 美穂子さんは、「わたしたちは、農業をしているから、やっぱり残りたい。ずっと住んどったけん、出たくない。出たくないけど、怖いです。夜になると」と話した。
村を襲った震度7の揺れは、家屋を倒壊させただけでなく、地盤にも大きな被害をもたらした。
地震で生じた、大きな地割れ。
土台となる地盤の斜面も、崩壊してしまっている。
定年後、自宅の畑で、農作業をすることを楽しみにしていた坂田善昭さん(62)。
坂田さんは、「ちょっともう…、住めません。地区の人と話し合って、どうなるかを見て決めていきたいと思う」と語った。
たとえ、この地に残りたくても、安全が保障される状態にはない。
この点について、西原村の日置和彦村長は、「今後、地震があったということで、転出される方も多くいると思う。人口が、少し減るんじゃないかと、心配している」と語った。.

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